唐津城

歴史・文化

名護屋城から唐津城へ

佐賀県北部・唐津の歴史を語るうえで欠かせないのが、名護屋城から唐津城へと受け継がれた時代の流れです。わずか数年で姿を消した“幻の巨大都市”名護屋城と、その遺産を礎に築かれた唐津城。この二つの城の物語は、唐津の文化や景観、ものづくりの原点につながっています。

名護屋城から唐津城へとは

名護屋城は、1592年(文禄元年)、豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として現在の唐津市鎮西町に築いた城です。全国から徳川家康をはじめとする大名が集い、最大15万人ともいわれる軍勢と人々が滞在したことで、一時的に巨大な都市が出現しました。

その後、秀吉の死とともに名護屋城はわずか7年で廃城となりますが、その歴史と文化は消えることなく、次の拠点となる唐津城へと受け継がれていきました。

歴史と背景

名護屋城には、武将だけでなく商人や芸能者、職人たちも集まり、南蛮貿易を通じた国際交流や、能・浄瑠璃・茶の湯といった安土桃山文化が花開きました。また、唐津焼の発展や、穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工集団による高度な石垣技術も、この地に根付いていきます。

名護屋城廃城後、その文化的遺産を受け継ぐ形で唐津のまちづくりを進めたのが、秀吉の側近で初代唐津藩主となった寺沢志摩守広高でした。

魅力と特徴

寺沢広高は、唐津城下の河口改修や新田開発を進め、東へ伸びる砂州に黒松を植林しました。これが、現在も唐津を代表する景勝地「虹ノ松原」の始まりとされています。

さらに漁業面では、紀州から漁夫を招き入れて捕鯨を導入するなど、産業の基盤づくりにも力を注ぎました。名護屋城で育まれた文化・技術・人の流れが、唐津城下で具体的な形となり、城と城下町が一体となった地域づくりが進められたのです。

名護屋城から唐津城を楽しむためのポイント

楽しみ方1:城跡と城下町の“つながり”を感じる

名護屋城跡と唐津城をあわせて巡ることで、拠点が移り変わっていく歴史の流れや、文化がどのように受け継がれたのかを立体的に感じることができます。

楽しみ方2:文化と景観に注目する

唐津焼や石垣、虹ノ松原など、名護屋城時代に根付いた要素が、今も唐津の風景や暮らしの中に息づいている点に注目すると、旅の楽しみがより深まります。

現地でのおすすめタイミング・季節・場所

新緑や松の緑が美しい春から初夏、また空気が澄み城郭景観が際立つ秋がおすすめです。城跡、城下町、海岸線を組み合わせて巡ると、唐津らしい風土を感じられます。

佐賀県における名護屋城から唐津城への価値

名護屋城から唐津城への移行は、戦の拠点から平和な城下町づくりへと向かう、日本史の大きな転換点を象徴しています。

この流れは、佐賀県唐津エリアの文化的厚みや産業、景観の礎となり、今も観光や地域の誇りとして受け継がれています。

関連用語

  • 名護屋城:豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築いた幻の巨大城郭。
  • 唐津城:名護屋城廃城後に整備が進められた、唐津の象徴的な城。
  • 虹ノ松原:唐津城下整備の一環として植林された黒松が生んだ景勝地。

名護屋城から唐津城へと続く物語は、唐津という土地が歩んできた挑戦と再生の歴史そのものです。城跡や城下町を巡りながら、その背景にある人々の営みや文化に触れることで、佐賀・唐津の旅はより奥行きのある体験へと変わるでしょう。


私たちと佐賀の未来を共に築き、持続可能な社会を実現しましょう。

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